主イエス命名の日「託された名前」ルカ2:15-21 (2019年1月1日)

父と子と聖霊のみ名によって アーメン                    

 

新年おめでとうございます。
新しい年を皆さんとご一緒に迎えることが出来ることを神様に感謝します。新年を迎えると、年齢が一つ増えると思うといやだなと思う人もいらっしゃるかも知れませんが、すべてをリセット出来そうで、さわやかな気持ちになります。
また、神の国に一歩近づいたと考えると、希望が湧いてきます。
 
 さて聖書の時代の新年は今の暦で言うと9月(ローシュ・ハサナ)でした。新年は世界が創造されたことを思い起こす日でもありました。全ての人々が日々の生活を振り返り、悔い改めるように角笛(ショファール)が吹き鳴らされました。農業が一番重要ですから農業中心のカレンダーになっていたようです。
私たちが正月として考えているイメージとはずいぶん違っていますね。

 

    さて今日の新年の礼拝は、教会の暦で言いますと「主イエス命名の日」という名前が与えられています。今日の福音書でもありましたように、誕生の8日目にイスラエルの男の子はユダヤ人として受け入れられるために、割礼を受ける必要がありました。ヨセフは正しい人、つまり律法に忠実な人でしたから、その規則に従って割礼を受けさせ、名前を神が示されたように「イエス」と名付けられたのでした。
 イスラエルの人の名前には意味がありました。例えば、エソウは「毛深い」、ヨセフは「もっと子どもをくださるように」、イサクは「神はもっと笑いをお与え下さるように」と言う意味があります。「イエス」と言う名前は「主は救い」と言う意味があります。キリストは「油注がれた者」という意味があり、転じて「救い主」という意味でもあります。キリストは救い主を待ち望んでいた民衆が付けた称号でもあるのです。

 

    マリアは生まれる前に、天使から「イエス」と名付けなさいと言われて、命名したのですが、将来この子がどういう人になるかまで思い描くことは出来ませんでした。目の前で次から次へと起きる不思議な出来事を「ただこれらの出来事をすべて心にとめ思い巡らしていた」と書かれています。子どもが誕生した喜びと共に、果たしてこの子はどのような子になるのだろうかと、み言葉を心に留め、目の前で起きていることに思いを巡らしていたのでした。
 この「イエス」と言う名前は、そのあと、まずはマリアとヨセフによって何万回も呼ばれることになるのです。さらに世界中の人々から呼ばれ続ける名前になるのです。
 
 親は子どもたちに将来への願いをこめて名前を付けます。親は子どもの名前を考えながらその子の将来について思いを馳せるのです。皆さんのお名前にはどんな願いが込められていますか?子どもを授かった方はどんな意味で子どもに名前を付けられましたか?

 

    神が語られた言葉を心に留め、温め続けるというマリアの行為は、教会に集まって聖書のみ言葉を心に留めて温め続けていると言う意味では、私たちにもつながるのではないでしょうか?
 
 さあ新しい1年が始まりました。いろいろ計画を立てておられる方もいらっしゃるでしょう。聖書を通読しようとか。朝の祈り夕の祈りを実践しようとか。その中に神さまの言葉、つまり聖書の言葉を心にとどめ、そのみ言葉を心の中で温める事の出来る1年でありたいと思います。

 

   また、神は私たちに「イエス」という名のひとり子をお与えになりました。当時の人々にも親しみのある名前だったようです。私たちにとっても非常に呼びやすい名前ですね。暖かい響きのある名前です。この一年も「イエス」名前を呼び続けることの出来る一年でありたいと思います。