大斎始日「善行をするとき」マタイ6:1-6,16-21(2019年3月6日)

父と子と聖霊の御名によって  アーメン

 

いよいよ今年の大斎節が始まります。
大斎節は、日本では「レント」あるいは「受難節」と多くの教派が呼んでいましたが、最近ではカトリック教会と同じく「四旬節」 と言うようにもなってきました。

 

「斎」という字は大辞泉では「心身を清めて神に仕えること」とあります。斎日は、断食をしてキリストの苦難を思い、罪を悔い、神の愛に感謝する日としてもうけられました。斎日には小斎日と大斎日があり、小斎日は肉を断食する日、大斎日は全ての食物を断食する日としてもうけられました。現在ではその精神が受け継がれています。聖公会では大斎始日(灰の水曜日)と聖金曜日が断食日として受け継がれています。小斎日は復活節を除く毎週金曜日が斎日として受け継がれています。
今日から復活日まで、日曜日を除く40日間が大斎節になります。「40」という数字は、旧約聖書の中で特別な準備期間を示す数字でした。ノアの洪水の日数は40日でした、モーセは民を率いて40年間荒野をさまよっています。主イエスは宣教を開始する前に40日間荒野で過ごし、 断食をされました。

 

大斎節の40日間はその伝統にしたがって、私たちが主イエスの十字架による死と復活をとおして、その生き方に倣うための準備期間となっています。

 

また、大斎節はかっては洗礼の準備の期間としても設けられていました。洗礼を受ける人は、この期間に自らの罪を悔い改めるために断食し、慈善活動を行いました。同時に、全ての信徒、聖職が、洗礼を受ける志願者と共に、洗礼によって与えられた喜びを思い起こし、主の復活の命によって生かされていることに感謝し、祈りながら復活の日を迎える準備をする期間でした。      .
現在では「全ての信徒が悔い改めと断食をもって復活日を迎える期間」ということになっています。

 

さて本日の福音書には、私たちが大斎節を伝統にしたがって過ごす時の過ごし方が示されています。慈善活動をおこなうとき、祈るとき、断食をするとき、富を蓄えるときのあり方について語られました。
ユダヤ教においては、人は善いことをすることによって、犯した罪を償うことが出来ると考えられていました。さらにその善い行いは、その大きさを計ることが出来ると考えられていました。その大きさによって神や人々から評価されることが期待されるようになりました。そのため人々はこれ見よがしに施しをしました。祈るときも人に見て貰おうと大げさな身振りと大げさな言葉で祈りました。断食をするときも、見て貰うためにいかにも断食をしていますという姿で断食しました。
主イエスは見て貰うために施しをし、祈り、断食をするのは偽善者がすることであると言われるのです。

 

主イエスは施しをするときには、誰にも分からないようにしなさいと言われます。祈るときは隠れたところで祈りなさいと言われます。断食をするときは気づかれないように断食をしなさいと言われます。そうすれば隠れたことを見ておられる神が、そのことに報いて下さるのです。神に理解してもらえれば良いのです。
主イエスは富は天に積めと言われます。富のあるところに私たちの心もあるからです。富はお金だけではありません。施しをすることも、祈ることも、断食することも富となるのです。

 

聖書には灰をかぶって悔い改めや、悲しみの気持ちを現わす事が書かれています。また私たちはチリから作られチリに帰っていきます。
この事を考えるために、大斎始日に悔い改めと主イエスの十字架の苦しみを考えるために灰で徴を付け、断食をすることは意味のあることです。


皆さんと共に大斎節を意味のあるものにしたいと思います。