大斎節第2主日「進むべき道」ルカ13:31-35(2019年3月17日)

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

 肌寒い中にも何となく春の臭いがしてきました。

 

 さて、大斎節も第2主日を迎えました。今日の福音書ではイエスはこれから先、自分に起こることを、人々にはっきりと示されるのです。
 イエスは町や村を巡って宣教活度を続けながらエルサレムへ向かっておられました。そこへ、イエスを敵視しているファリサイ派の人々が、イエスに「ヘロデのイエス殺害の陰謀」を告げに来るのです。ここで出てくるヘロデは、洗礼者ヨハネを殺害したヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスです。
 このファリサイ派の人々からの「ヘロデがあなたを殺そうとしています。ここを去ってください。」との助言は善意からのものではなく、助言に見せかけての脅迫だったのです。

 

 イエスはそれに応えて言われます。「もどって、あの狐(ヘロデ)に伝えなさい。昔からエルサレムについて警告をしてきた預言者達が殺されたように、私も同じように殺されることになっている。しかし、その日が来るまでは、今日も明日も、その次の日も人々を癒やしながら、父なる神から託された人々の救いのために、自分の道を進んでいく。この活動はエルサレムで私が死に、三日目に復活し、昇天することによって完成される。その時、人々は罪による死から救われるのである。ヘロデが殺そうとしても私は進んでいく。」
 さらに、イエスを救い主として認めようとしない人々にも警告を出されます。

 

 「父なる神は何度も神に立ち返るように預言者を通して語られたが、お前達は聞こうともしなかった。お前達の家、すなわちエルサレムの神殿は神から見捨てられるであろう。」イエスが言われた通り、紀元70年にはエルサレム神殿はローマ軍によって破壊されてしまうのです。

 

 イエスはご自分が十字架に付けられて殺される日が近づいていることをご存じでした。しかし、その日が来るまで人々のために働き続けると言われるのです。

 

 先日テレビで尹東柱(ユンドンジユ)の特集がありました。聖公会の奈良基督教会の牧師、井田泉司祭が詳しく説明して下さいました。
 
 尹東柱は1917年満州の明東(ミヨンドン)村に生まれます。一家は1910年頃に一家を挙げてキリスト教に入信します。東柱(ドンジユ)は1942年に父の勧めも在り、4月に立教大学文学部英文科選科に留学します。10月には同志社大学文学部英文学科選科に転学します。
 1943年7月14日、在学中に朝鮮語の詩を書いた事を理由に治安維持法違反の嫌疑で下鴨警察署に逮捕されます。このとき、従弟の宋夢奎(ソンモンギユ)も逮捕されます。
 1944年2月22日、尹東柱と宋夢奎は起訴され、3月31日に京都地方裁判所で懲役2年の判決を言い渡され、尹東柱と宋夢奎は福岡刑務所に収監されました。
 終戦の6ヶ月前、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死します(満27歳没)。

 

 尹東柱が書いた代表的な詩に「序詩」という詩があります。読んでみましょう。

 

『序詩』

 

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべての死んでいくものを愛さなければ
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 

 今宵も星が風に吹き晒(さら)される。  (井田泉 訳)

 

 23歳の頃に書かれたこの詩には、人生の「序」と言う意味もあるのかも知れません。治安維持法違反という無実の罪で殺された人生でしたが、尹東柱もまたイエス・キリストと同じように、その日まで、自分に与えられた道を恥じなく歩んでいく決意を示したのでした。

 

 私たちの命にも限りがあります。いずれこの世での命は失われます。その時まで私たちも神様から与えられた自分の進む道を思い起こしながら、進んでいかねばなりません。
 私たちの人生が、イエス・キリストに守られた人生であることを思い起こしながら生き抜きたいものです。

 

 大斎節の一日のどこかで静かに黙想してこのことを考えたいものです。