復活日「復活がもたらしたもの」(2019年4月21日)

父と子と聖霊の御名によってアーメン

 

 主イエスのご復活おめでとうございます。
ようやく、イースターを迎えることが出来ました。今年はイースターが遅いので桜は盛りを過ぎましたが、その他の草花が咲きほこり、緑もやわらかな緑色になっています。植物も冬の間、枯れてしまったかのようでしたが、春になり復活したのです。

 

 先ほどお読みしました、ルカによる福音書によれば、イエスと一緒にガリラヤから付き従ってきた女性達は、先週の金曜日にイエスの十字架上の最期を見届けました。夕方にはイエスの遺体を十字架から降ろし墓に納める必要がありました。翌日の土曜日はユダヤ教の安息日です。日没後は安息日に入り作業が出来なくなります。急いで墓に納める必要がありました。十字架から降ろされた遺体は、最高法院の議員アリマタヤのヨセフの仲介により、ようやく墓に納める事が出来ました。しかし、急いで墓に納めたために、イエスの遺体にしっかりと香料や香油を塗ることが出来ませんでした。 女性達は安息日が明けたら、イエスの遺体に香料を丁寧に塗って差し上げたい、一日千秋の思いで息日が明けるのを待ちました。
 安息日が明けた日曜日の朝、急いで墓に行ってみると、墓の入り口を塞いでいた石が取り除かれていたのです。中に入ってみるとイエスの遺体がないのです。そこに、輝く白い衣を着た二人の人が現われ、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、復活されてここにはおられない。ガリラヤにおられたころ、人の子(イエス)は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」とイエスの復活を女性達に告げたのでした。
 女性達はあわてて弟子たちの隠れ場所に行ってこの事を知らせますが、弟子たちは信じようとはしません。その中でペトロだけは墓へ走って行って確認をします。

 

 教会の前面のステンドグラスは「マタイによる福音書28章」を元に描かれています。ローマ兵隊の恐れおののく姿が描かれています。

 

 弟子たちは3日前の事が強烈に思い出され、復活のことを信じる事が出来ませんでした。弟子達は2年間あまり、師と仰いできたイエスと共に生活し、数々の癒しの現場にも立ち会って来ました。この人こそ、私たちの救い主ではないかとの期待が、少しずつふくらんできた矢先の十字架上の惨めな最期だったのです。

 

 イエスの弟子である以上、師と同じ罪である冒涜罪を問われるのは当然のことでした。そのために弟子たちは隠れて生活していました。そこへ復活のイエスが姿を現されたのです。弟子たちは最初の間は混乱しました。イエスは復活を信じようとしない弟子トマスの所にも行って自分の身体を見せられます。
 徐々に弟子たちの中にも復活のイエスを信じる者が出てきます。そして復活のイエスに出会うことが喜びになっていきます。最初は弟子たちの間だけの喜びでした。しかし弟子たちはその喜びを自分たちだけの喜びとはしませんでした。
 復活のイエスに出会った人々は隠れ家から外に出て来て、イエスが語られたことを語り継ぎながら世界に向けて宣教を開始したのでした。
 復活のイエスの姿がどのようなものであったかは、私たちは聖書からしか知る事が出来ません。肉体の復活でもあったし、締め切った部屋にも入ってこられるような霊的なものでもあったのです。私たちの経験や知識を超えた姿として復活されたのです。

 

 私たちの経験や知識では、なかなか復活を信じる事は出来ないのですが、私たちの経験や知識を越える出来事が起きたのは確かです。それはどうして分かるのでしょうか?
 
 弟子たちは復活のイエスに出会うことによって、考えられないような力を得て、世界各地に出かけて行って宣教を始めたのは事実です。イエスの復活に力を得て、その後、2000年もの間、様々な迫害にあいながらも、絶えることなく、イエス・キリストの福音は伝えられたのです。その事によって「復活」が真実であることが分かるのです。
 
 日曜日は、その復活を記念する日として世界中で安息の日となりました。日本にもキリスト教が伝えられることによって、日曜日が安息日となりました。また「愛(アガペー)」と言う言葉も世界に広まりました。「私があなたを愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい」とイエスの遺言は、現在取り組まれている福祉の仕事の考え方の根底に息づいているのです。
 「祈る」こともそうです。イエスは私たちに「主の祈り」を通して、祈り方を教えて下さいました。自分のためだけでなく他の人々のために祈ることの意味も「愛」が根底にあるからです。
 「罪からの解放」もイエス・キリストの「復活」から始まったことです。
  主イエスの復活から始まったことは私たち人間に、幸せをもたらすことになったのです。

 

 私たちもキリストに連なるものとして、今日のご復活を共に祝いたいと思います。

鹿児島復活教会のステンドグラス