復活節第4主日「主の声を聞き分ける」ヨハネ10:22-30 (2019年5月12日)

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

 

 5月の第2日曜日は「母の日」です。「母の日」由来についてお話しします。アメリカの南北戦争(1861~1865)中に敵味方問わず負傷兵の世話をしたアン・ジャービスという女性がいました。ジャービスの死後1907年5月12日、娘のアンナは、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、母親が好きだった白いカーネーションを亡き母に贈りました。アンナの母への想いに感動した人々は、1908年5月10日に同教会で、470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝いました。アンナは全員に、白いカーネーションを手渡しました。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなりました。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められました。
 母の存在は大きいものがあります。母への感謝を捧げましょう。

 

 さて今日の福音書では、主イエスと私たちの関係を、羊飼いと羊の関係に譬えて示されました。エルサレムの神殿奉献記念祭*1に集まった大勢の人々の前で、ユダヤ人すなわちファリサイ派の人々や祭司達はイエスを取り囲んで「メシアならそう言いなさい。」と罠にかけます。もしイエスが「私がメシアだ」と答えるならば、すぐに冒涜罪で「石打の刑」で殺すつもりだったのです。当時、ローマからユダヤ人に許された死刑の方法は「石打の刑」だったのです。

 

 その質問に対して、イエスは言われます。
「私は父の名によって行ってきた業によって、自分の事を証ししてきた。しかしあなた達は私を信じなかった。あなた達が私の羊なら、私の声を聞いたときに、私だと分かったはずである。私の声を聞き分ける者に、私は永遠の命を与える」と。
 この言葉には深い意味があります。ヨハネによる福音書が書かれた頃(紀元90年頃)から、しだいにクリスチャン達への弾圧が激しくなります。最初の弾圧はユダヤ教の中からだったのです。ユダヤ教の人々はクリスチャンを自分たちの集会の場であるシナゴーグから追い出そうとします。クリスチャンの中にはユダヤ教からの呼び掛けに対して、再びユダヤ教に戻る人々も出てきます。
  今日の福音書は、ユダヤ教からの呼び掛けに対して、ユダヤ教の人々の言葉に耳を傾けるのではなく、イエスの語られたことに耳を傾けなさいとの激励の言葉でもあったのです。

 

 私たちも日々の生活の中でいろいろな声が聞こえてきます。特に、決断が必要なときに、いろいろな声が聞こえてきます。その声の中には悪魔の声もあります。人を陥れる言葉や、復讐の言葉が聞こえてくることもあります。人を欺く言葉も聞こえてきます。その中に主イエスの声も聞こえてきます。主イエスは悪魔の声と主イエスの声とを聞き分ける必要があると言われるのです。
 私たちの耳は神によって非常に精巧に作られています。私たちの耳は人の声を聞き分けられるように作られています。赤ちゃんは母親の声を聞き分けます。母親もまた自分の子どもの声を聞き分けます。以前、テレビで、お母さん達が自分の赤ちゃんの声を聞き分けることが出来るか実験をしていました。カーテンの向こうの赤ちゃんの泣き声を聞いて、お母さん達はピッタリと我が子を言い当てるのです。
 その素晴らしい耳を持ってしても、時々私たちは、主イエスの声と悪魔の声を聞き間違えることがあるのです。
 私たちの耳の働きは、残念ながら、高齢になるにつれ、あるいは病気のために衰えていきます。ますます聞き間違えることになります。
 では正しく「聞き分ける」にはどうしたらよいのでしょうか?
そのためには「心の耳」が必要になってきます。そして「心の耳」で聞くためには「祈り」が必要になってくるのです。
 イエスが言われるとおり、静かな隠れたところで祈る「祈り」の中でイエスの言葉が聞こえてくるのです。
 祈ってすぐ聞こえてくることもあれば、暫く時間がかかることもあります。人の声を通して聞こえてくることもあります。

 主イエスは、羊である私たちに、羊飼いである主イエスの言葉を聞き分ける力、すなわち「心の耳」を与えてくださっているのです。「心の耳」は衰えることはありません。高齢になってますます聞こえるようになる方もおられます。

 祈りつつ、「心の耳」で主イエスの声を聞き分け、主イエスの声に従って、信仰生活を送りたいと思います。

*1  この祭りは、神がユダヤ人をアンティオコス四世エピファネスから解放したことを記念するものであった。アンティオコスは圧制的なシリアの王で、エルサレムの神殿に神として自分の像を立てた(B.C.168年)。この祭りはハヌカーとも言われる。