聖霊降臨後第12主日「永遠の命とは」ヨハネ6:37-51 (2018年8月12日)

父と子と聖霊の御名によってアーメン

 

    先週の木曜日8月9日は長崎原爆記念の日でした。沖縄教区の上原主教、神戸教区の小林主教が出席して、九州教区武藤主教の司式により原爆を記念する礼拝が行われました。
    1945年8月9日、11時2分に原爆が投下され、長崎市の人口24万人の内、12月までに73,884人がなくなり、74,909人が負傷しました。その後も多くの人が身体的にも心的にも後遺症に苦しみました。今も尚その苦しみは続いています。
 「原爆によって終戦が早まり、そのために100万人の人々の命が助かった」というアメリカの原爆必要論に対して疑問が投げ掛けられています。広島、長崎を訪れて資料館に行き、その実態を見る時、とうてい、この考えは受け入れられません。
 
 神はなぜ、この様な爆弾を人類に与えられたのでしょうか?簡単にその答えを見つけることは出来ません。しかし三度(みたび)使うことは許されません。
 イエスは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)と言われます。今、神は平和を実現するために、私たちの持てる力を使うことを求めておられるのです。

 

 さて、今日の福音書では、イエスがこの世にこらた目的が明確に語られました。振り返ってみましょう。
ヨハネによる福音書6章37節から
「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
   イエスがこの世に来られた目的の一つ目は「わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」
 二つ目は「子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである。」
 この二つの目的のためこの世に来られました。
 一つ目の目的でイエスは、神が創られた全ての人を一人も失わないで救ってくださると言われるのです。私たちは、繰り返し、繰り返し、思いと、言葉で罪を犯します。そのような者でも一人も失うことなく救って下さると言われるのです。この言葉を聞く時、私たちが苦難の中にあっても「大丈夫だ。神様にお任せしよう。」という気持ちが湧いてきます。
 二つ目の目的の中で「自分を信じる者が皆、永遠の命を得るため」であると言われます。
 「永遠」という言葉を聞く時、私たちは無限に続く時間の流れを想像します。しかし、時間はどの方向に向って流れていくのでしょうか。右から左でしょうか?下から上でしょうか?
 ギリシャ語で「永遠」を表す言葉は「アイオーニス」という言葉が使われています。この意味は「始めも終わりのない。宇宙の。たえることのない。無限の連続。広がり。」という意味があります。時間的な意味だけではなく、空間的な広がりの意味も含まれていることがわかります。私たちは「永遠」を考える時、「時間的な永遠」と「空間的な永遠」とを併せて考える必要があるのです。
 「永遠の命」はまだ誰も体験したことはありません。時空を超えた素晴らしいものであるのは間違いありません。
 イエスがこの世に来られた目的は、イエスを信じる者全ての永遠の命を与えてくださると言うことです。
 
 「永遠の命」は,今私たちが生きている命の先にあります。今私たちが生きている命は「永遠の命」へ続く命なのです。
 
 東北の震災で亡くなった人々の命も、大雨の被害で亡くなった人々の命も、原爆で亡くなった人々の命も、永遠の命に続いています。
 私たちも神さまから与えられた現在の命を、イエス・キリストを受け入れて生きるとき、それは永遠の命につながっていくのです。

 

    父なる神様は私たち一人ひとりを忘れてはおられません。全ての人々を救い、永遠の命を与えるために、御子イエスをこの世に使わされたのです。

 

    この言葉を信じて、信仰生活を送りましょう。