降臨節第4主日「クリスマスの意味」ルカ2:1-20 (2018年12月23日)

クリスマスおめでとうございます。

 

 さて、今日はクリスマスの礼拝ということで、福音書もクリスマスの出来事を現した福音書の箇所を選びました。降誕日の福音書は毎年同じものが選ばれていますので、もう皆さんご記憶の事だと思います。何度読んでも、子どもの時と同じイエス・キリストの誕生のシーンがよみがえってきます。

 

 私が教員をしている時に、家の隣にお寺がありました。そのお寺からは、お寺の行事がある度に私の家の子どもたちにお誘いがありました。ある年の12月「クリスマスをしますから、お子さんたちもどうぞ」というお誘いがありました。私は思わず絶句しました。
 日本では宗教を問わずクリスマスが祝われています。もはや国民の祝日にもなりそうな勢いです。考えようによっては素晴らしいことです。しかし、クリスマスがイエス・キリストの誕生を記念する日であることをどれくらいの人が理解しているでしょうか。
 今日はクリスマス礼拝ですので、クリスマスについて考えてみたいと思います。
 今日の福音書ではイエス・キリストの誕生の意味を考えさせられる箇所があります。
 一つは、7節の「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」のところです。二つ目は9節から12節の羊飼いに天使が現れて「救い主イエス・キリストの誕生とその意味」を伝えられたところです。
 まず7節の「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」この理由について、日曜学校や幼稚園のクリスマスの聖劇では、宿屋が満員であったから泊まれなかったと言うことになっていました。先日も大口幼稚園のクリスマスがあったのですが、その中で子どもたちの聖劇があり、ヨセフさんとマリアさんが宿屋の入口を叩き、「あいにく満員です。」と断られるシーンがありました。最後の宿屋で「馬小屋ならあいています。」と言われます。
 さてこの理由が本当だろうかということで、最近になって色々な解釈が出されています。最近の聖書学の解釈では、それはマリアが身重であったからだと言う説です。じつはユダヤの律法の中で「出産の汚れ」というと律法があります。旧約聖書のレビ記12章*1によりますと、イスラエルでは男の子を産んだ場合、7日間汚れており、さらに33日間は家から出てはいけないとなっています。女の子を産んだ場合その2倍の日数、汚れが続きます。その汚れのために宿屋の主人は、宿屋の中に泊めるのを拒否したのではないかという説があります。
 私もこの説に賛成したいと思います。
 日本で西暦900年ごろに書かれた「延喜式」という書物が有ります。これは律令を守るための細則が書かれたものです。この中でも産婦は、お産後7日間は汚れているとされました。ユダヤの律法と同じ事が書かれているのです。この事から考えると、マリアとヨセフの宿泊拒否は汚れのためだったと考えられるのです。マリアが宿屋で出産すると宿屋が汚れることになり、客を泊められなくなるからです。これなら馬小屋を勧められたのも理解出来ます。

 

 次にこの誕生について世界で最初に知らされ、祝いの席に招かれた羊飼について考えてみましょう。
 私たちも祝い事があるときだれを招くか、あれやこれや考えます。最も大切な人を最初に考えます。その後に、あの人も呼ばなくちゃ、この人も呼ばなくちゃ、と言うことになっていきます。
 神様が、自分の息子の誕生日の祝いに最初に招かれたのは、羊飼いだったのです。
 遊牧の民であったユダヤの人々にとって羊の番は大切な仕事でした。ダビデの時代は男の子どもたちの大切な仕事でした。当時はライオンや狼、ジャッカルなどもいました。羊飼いはそれらの野獣から、寝ずの番をして羊を守らなければなりませんでした。しかし、徐々に定住生活が始まり、都市化していきますと、過酷な羊飼いの仕事は、差別された貧しい雇い人の仕事になっていきました。その貧しい羊飼いが最初に招かれたのでした。

 

 この二つの出来事は何を意味しているのでしょうか。

 

 宿泊拒否は汚れのためでした。イエス・キリストは罪の汚れの中で差別され苦しむ人々を救うために、御自身を罪の汚れの中に、置かれたのでした。
 また貧しい羊飼いたちが最初に招かれたということは、イエスは貧しい人々(経済的だけでなく心の貧しい人)を最も大切にされると言うことを表しています。
 イエス・キリストの誕生によって「救い」の意味が変わってきました。高いところから「救いの道」を示されていた神から、私たちのすぐ側にいてくださり、私たちと共に「救いの道」を歩んで下さるイエス・キリストに変化したのです。父と子と聖霊なる神を身近に感じることが出来るようになりました。
 イエス・キリストの誕生を記念し祝う意味はここにあるのです。
 ここを原点としてイエス・キリストの宣教が始まるのです。私たちも主イエスと共に、第二の降臨であるイエスの再臨と神の国の実現を待ち望みたいと思います。

 

 クリスマスおめでとうございます。礼拝を続けましょう。