三位一体主日、聖霊降臨後第1主日「三位一体の神」ヨハネ16:12-15(2019年6月16日)

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

 

 おはようございます。梅雨に入り乾いた土地が雨で柔らかくなっていきます。神の恵みを感謝します。

 

 さて先週はペンテコステ(五旬祭)の日に弟子たちを初めとする120人の人々に聖霊が下った聖霊降臨の日でした。この聖霊降臨日はイエスが昇天された後に、イエスに代わって聖霊が私たちに与えられたという意味で、私たちクリスチャンにとっては重要な主日です。

 今日の三位一体主日もクリスチャンにとっては重要な主日です。
 今日の福音書はイエスの告別説教の後半部分が選ばれています。ここでは「聖霊の働き」について語られています。
 ヨハネによる福音書では聖霊は弁護者(パラクレートス)として表されます。              
 イエスは「言っておきたいことは、まだ沢山あるが、今のあなた方には理解できない」と私たちの理解力の弱さを指摘されます。
 「しかし、真理の霊、すなわち聖霊の導きによって、真理がすべて理解できるようになる」とイエスは言われます。
 その理由として「聖霊は、聞いたこと、すなわちイエスのみ言葉を語り、これからおこることを、あなた方に告げるからである」とイエスは言われるのです。
 さらに、15節でイエスは「わたし(イエス)が受け継いだ父なる神の全てのものを、弁護者(聖霊)は受け継ぎあなた方(弟子たち)に告げる」と言われるのです。
 実はここに、今日の主題である「三位一体の神」の関係が語られています。
 すなわち、「子なるイエスは父なる神から全てものを受け継ぎ、聖霊もまた全てのものを受け継いであなた方に告げる」と言われます。この事により父なる神と子なる神は同じであることが分かります。
 さらに、父から使わされた弁護者、すなわち聖霊は「イエスの全てを受け継ぎ、弟子たちにイエスの教えを告げる」のであるといわれます。
 ここに「父」と「子」と「聖霊」なる神の関係が同じ関係であることが示されているのです。
 歴史的には325年に、初めて開かれたニケアの宗教会議でこの事がはっきりと示されます。なぜはっきりさせる必要があったかというと、それまで、神についての多くの議論がなされてきました。その中にはイエス・キリストの神性を否定するような考えも出て来ました。
 一番危なかったのは、アレキサンドリアの長老アレイオスが言い出した、子であるイエス・キリストは神の創造物であり、父なる神とは似ているが、同じではない「類似本質(ホモイウシオス)」であるとする考えでした。
 これに危機感を感じたアレキサンドリアのアレクサンドロス主教はアレイオスの考えを異端として退けました。しかしその後も論争は続きました。時のローマ皇帝であったコンスタンティヌス帝は、業を煮やして、司教達をニケアに集め、そこで、この問題に決着を付けさせようとします。ニケア宗教会議では、このアレイオスの説が退けられ、父なる神とイエスが同質であるとする「同一本質(ホモウシオス)」が正統として認められ、それが「ニケア信教」として表されることになりました。その後、数回の会議をへて、父と子と聖霊の三つの位格は一つの神の三つの側面として「父は初めからあるもの。子は父から生まれたもの。聖霊は父と子から出たもの。」として三位一体の教理が確立したのでした。
 しかし、この三位一体の神はなかなか理解しにくいものです。
 この理解に近づくために、物質の三態変化をイメージしてみてはどうでしょうか。例えば水は温度によって3つの状態、固体、液体、気体を取ります。しかしどの状態でも水は水なのです。すなわち3つの状態を取るけれども本質は水なのです。
 父なる神、子なる神、聖霊なる神の3つの側面がありますが、本質は同じ神様なのです。私たちが「ニケア信教」を唱えるとき。また祈りや詩編の最後に「栄光は父と子と聖霊に、初めのように今も世々に限りなくアーメン」と言う時に、私たちは三位一体の神であることを確認しているのです。
 この後に、ニケア信教を唱えるときに注意して唱えてみてください。

 

 さて、今日は三位一体の主日と言うことで、三位一体について考えて来ましたが、これで神さまの全てが理解できたわけではありません。神さまについて私たちが全てを知ったとしたら、私たちが神さまより優れたものになり、それはもはや神さまではなくなります。
 現代社会に於いては神さまについて知り尽くし、神よりすぐれたものとして、神をも恐れない人たちが多いような気がします。
 私たちは、倣慢な気持ちを捨てて、もう一度、神さまの前で神さまから造られたものとして、謙遜して祈り求める必要があるのではないでしょうか。
 今週からしばらく「聖霊降臨後の主日」が続きます。降臨節前主日まで続きます。今年の降臨節前主日は11月24日になります。この間はルカによる福音書を通して主イエス・キリストの足跡をたどっていくことになります。

 

 聖霊に導かれながら、神の前では一人の小さいものとして、皆さんと一緒にこの足跡をたどっていきたいと思います。