復活日「主の復活の喜び」マルコ16:1-8(2024年3月31日)

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

 主イエス・キリストのご復活おめでとうございます。

 ようやく復活日を迎えることが出来ました。復活祭はクリスマスのように日にちが固定されていません。復活祭の日にちの決め方は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」となっていますので、今年は3月31日となりました。来年は4月17日となります。

 冬の間、枯れてしまったかのような甲突川の桜の木も少しづつ花を咲かせ、木々も次々に木の芽を出して、柔らかい緑の葉を出しています。まさに復活の季節です。

 

 今日は最初に主イエスの復活に出会った人々が、復活をどの様に受け取ったのか考えていきたいと思います。

 

 先ほどお読みしましたマルコによる福音書によれば、ユダヤ教の安息日(過越の祭)の次の日、マグダラのマリアとヤコブの母マリア、サロメの三人の女性は急いで主イエスの墓へと向かいます。ヤコブは主イエスの弟ですので、ヤコブの母は主イエスの母マリアと言うことになります。サロメは12弟子のヤコブとヨハネの母です。

  主イエスが十字架の上で亡くなられた金曜日はユダヤ教の安息日(現在の土曜日)の前日です。安息日には仕事をしてはならないというユダヤ教の規定がありました。そこで金曜日の日没までには主イエスを埋葬しなければなりませんでした。そのため充分に香油を塗ることが出来ませんでした。三人は主イエスの身体(からだ)に香油をていねいに塗りたいと思っていました。

 オリーブ油と香料を準備して墓まで行くと、厳重に閉められていた、大きな入り口の石が脇に転がされていました。おそるおそる中に入ってみると、白い長い衣を着た若者が座っていました。三人の女性たちはびっくりします。その若者は

「驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのだろうが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」

 女性たちは墓を出て逃げ去ります。震え上がり正気を失い、怖さのあまり、誰にもこの事を言うことが出来ませんでした

 当時、死者が復活するのは終末の時だと考えられていました。そこで女性たちは、いよいよ終末の時がきたと思い、震え上がり、恐れたのでした。この恐怖のために、何も告げることが出来なかったのです。

 

 マタイとヨハネによる福音書によれば、弟子たちはかねて言われたとおり、ガリラヤで復活の主イエスと出会うことになります。ガリラヤは、主イエスが苦しむ人々を癒し、差別された罪人と共に喜び、慰め、パリサイ派や律法学者たちの差別と戦った場所でした。

 ガリラヤでの主イエスの活動を思い起こし、主イエスが始められた神の国運動を継続することが、弟子たちに与えられた使命だったのです。

 

 2年間あまり師と仰ぐ主イエスと生活を共にし、数々の癒しの現場にも立ち会い、少しずつではありますが、この人こそ救い主ではないかとの期待がふくらんできた矢先の主イエスの十字架上の壮絶な最期でした。

 弟子たちもまた、師である主イエスと同じ罪、冒涜罪を問われるのは当然のことでした。そのために弟子たちは息を潜め、隠れて生活していました。しかしガリラヤで復活の主イエスが姿を現されたのです。生きる気力も失っていた弟子たちは喜び、再び生気を取り戻し、弟子たちも復活したのでした。

 

 この体験は、最初は弟子たちの間だけの喜びでした。しかし弟子たちはその喜びを自分たちだけの喜びとはしませんでした。

 

 復活の主イエスに出会った人々は隠れ家から表に出て来て、主イエスが宣教開始の時に語られた「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)を語り継ぎながら世界に向けて宣教を開始したのでした。

 

 復活の主イエスの姿がどのようなものであったかは、私たちは聖書からしか知る事が出来ません。肉体の復活でもあったし、締め切った部屋にも入られるような霊的なものでもあったようです。それは私たちの考えや知識を超えたものでした。

 

 私たちが体験したこともない出来事が起きたのです。弟子たちはそれに出会うことによって、考えられないような力を得て世界各地に出かけていったのです。

 

 その後、主イエスの福音が、2000年間いろいろな迫害に遭いながらも、絶えることなく、たゆまなく拡がっていく姿を見る時、「復活」が真実であったことが分かるのです。

 毎週の日曜日も、救い主イエスの復活を記念する日として世界中で安息の日となりました。

 

 鹿児島復活教会は1924年の教会改築と共に「復活教会」と名付けられました。現在の教会の正面のステンドグラスは復活の救い主イエスを表わしています。新らしい教会建築の話しが始まった頃、2面のステンドグラスがイギリスの港を出て九州教区に送られてきました。どの教会にどのステンドグラスを設置するか話し合いがもたれました。福岡の聖パウロ教会もこのステンドグラスに名乗りを上げました。ところが祭壇の壁の都合で入れることが出来ませんでした。大口聖公会でもこのステンドグラスについて話し合いがもたれたそうですが、やはり壁の大きさが問題になり入れることが出来ませんでした。

 ところが、ちょうどその頃、新しい教会を建築中の鹿児島復活教会の設計図にステンドグラスの図面を引いてみると、ぴったりはまりました。私はこの経緯を後になって聞かされ、驚きました。

 

 今日は世界中の「復活」の名前が付いた教会や施設事業について祝福の祈りが捧げられることになっています。

 

私達は「復活」の名前を戴いた教会として、主イエスの復活を体験した弟子たちのように、再び立ち上がり、主イエス・キリストの福音を宣べ伝える教会でありたいと思います。

 

 私達もキリストに連なるものとして、復活の意味を考えながら今日の主イエスキリストの復活を共にお祝いしましょう。