聖霊降臨後第21主日「永遠の命を受け継ぐには」マルコ10:17-27 (2018年10月14日)

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 

    急に秋らしくなってきました。あの暑い夏が嘘のようです。

 

    さて、今日は皆さんとマルコによる福音書を通して「永遠の命」について考えてみたいと思います。「永遠の命」という言葉は、「マルコによる福音書」ではこの箇所だけに出てくる言葉です。この言葉が大切に使われていたことがわかります。

 

    今日の福音書を振り返ってみましょう。
金持ちの青年はかねてイエスの噂を聞いていて、出かけようとしているイエスの側に走り寄ってきて「善い先生(正しい先生)永遠の命を受け継ぐには何をしたらよいでしょうか」と尋ねます。「善い先生(Didaskale agaqe)」という言葉を指すギリシャ語アガソスagaqοςには、他の意味として「有能な、優良な、立派な、善良な」という意味もあります。
 イエスはそれに対して、「なぜ私に善い先生と言うのか?」とまず「善い」という言葉を否定されます。
 そして「十戒をちゃんと守っていますか」と尋ねられます。若者は「そういうことはみんな子どもの時から守っています」と答えます。
 その答えにイエスは彼を見つめて慈しみながら「あなたに欠けていることが一つだけある。行って持ち物を売り払って貧しい人々に施し、そして私に従いなさい」と言われます。その答えを聞いてその若者は悲しみながら立ち去ります。

 

 さてこの「永遠の命」とはどんな命でしょうか?
 
    ふだん、私たちは「永遠」という言葉を時間的な意味で使っていますが、ここでもその意味で使われているのでしょうか?
 私たちの「命」、つまり「肉体の命」は時間的に限りがあります。日本の平均寿命が延びたとはいえ、時間的限界があるのです。その事から、ここで使われている「永遠」の意味は、時間的な意味として考えることは出来ません。
 イエスの言われる「永遠」は、時間を超越した別の世界での話なのです。
 ここで言われている「永遠」は、私たちが神と共に過ごす時間とだと考えられます。神と私たちの関係が正しく結ばれている世界で起きることです。神はそのことを示すためにイエスをこの世に使わされたのです。
 ヨハネ3:16には「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とイエスをこの世に使わされた目的が示されています。
 まだイエス・キリストの再臨を経験していない私たちは完全に「永遠の命」について理解できていません。しかし聖書に示されていることをつなぎ合わせていくとその輪郭が少し分かって来るのです。
 私たちは「命」という事についてはよく知っています。具体的な形として目で捉えることは出来ませんが「命の大切さ」も理解しています。イエスの言われる「永遠の命」も目で見ることが出来ないのですが、聖書のイエスの「み言葉」を通して、理解することが出来るのです。
 今日の福音書に戻りましょう。青年は噂になっている「永遠の命」を得たかったのです。経済的には何も困ることはないのですが、いずれ死んでしまうことはこの青年にも分かっていたようです。たぶんこの青年は「永遠の命」を「永久不滅の命」または「不老長寿の命」と勘違いしていたのではないでしょうか?
 「十戒をきちんと守っています」という金持ちの青年にイエスは「持っているものを売り払って、貧しい人に施しなさい。天に富を積みなさい。そして私に従いなさい」と言われます。しかしそれを聞いた若者はがっかりして立ち去ります。
 イエスはユーモアを交えて「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言われるのです。

 

    今日の聖書の箇所を読んで「自分は金持ちでなくてよかった。神の国に入れる。」とホッとされる方もおられると思います。
 イエスは金持ちが悪いと言っておられるのではありません。今日の福音書でイエスが取り上げられた十戒の部分は、当時の金持ち達が守っていない箇所でした。イエスが言われていることは、その財産を「隣人を愛するのに使いなさい」と言っておられるのです。
 取税人として財産を得たザアカイは.イエスが自分の家に来て下さったことを喜び、心を入れ替えました。そして「わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。(ルカ19:8)」と誓います。
 以前、テレビの白熱教室「幸福学」で、お金で幸せになる方法についての番組がありました。貯めることが幸せか?ものを買うことが幸せか?人のために使うことが幸せか?
 実際にお金を学生達に持たせて実験をしました。そして、幸せの度合いを統計を取って調べた結果、人のために使った時が最も幸せを感じた人が多かったのです。
 「隣人の愛し方」にはいろんな方法があります。そのために私たちに与えられたのが賜物なのです。その賜物に応じて、私たちもいろいろな形で、隣人と関わることが出来ます。
 この若者には富という賜物がありました。その賜物を「隣人を愛するために使いなさい」と言われたのではないでしょうか?
 イエスの再臨の時、私たちは「私があなたに与えた賜物を隣人を愛するために、どのように使いましたか?」と問われるのです。
 「神の国」はすでに始まっています。私たちも神の国」実現のために自分に与えられた賜物を精一杯活かして「永遠の命」にあずかりたいものです。

 

《十戒》
1  主が唯一の神であること
2  偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3 神の名をみだりに唱えてはならないこと
4 安息日を守ること
5 父母を敬うこと
6 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7 姦淫をしてはいけないこと 
8 盗んではいけないこと
9 隣人について偽証してはいけないこと
10隣人の財産をむさぼってはいけないこと